みなさんは、以下の戦国武将の共通点が見つけられるだろうか
・織田信長
・武田信玄
・上杉謙信
・徳川家康
いずれも、有名な武将であり、4人とも知らないという人は少ないだろう。
では、彼らの共通点とはなにか、皆さんは見つけられただろうか。
答えは、このテキストの題になっている、
「衆道」家
である。
この衆道とはどういう意味か、知っている人は少ないだろう。
実は、
ホモ
なのである。
織田信長には森蘭丸
武田信玄には高坂弾正
上杉謙信には直江山城守
徳川家康には井伊直正
といった具合に夜伽の相手がいたのである。
この時代は、衆道(男色)というのは決して奇特な行為ではなく、
戦場という特殊な環境において必要不可欠だったのである。
そのため、各武将の相手をつとめた者のすべてが、
一流の武芸者であったと言われている。
それでは、このような風習はどこから、始まったのであろうか。
その生涯において、女色を断ち、男色一筋であった、
上杉謙信の場合を見てみよう。
彼は次男であったために、幼少時に
寺
に預けられていたと言われている。
その後、家督
(かとく)を継ぎ、
毘沙門天
(びしゃもんてん)との誓いで女色を断つ代わりに軍神と言われるほどの
軍略を得たと言われている。
つまり、
上杉謙信が衆道を覚えたのは、
なのである。
実際、当時日本中のお寺の中で、
ある程度の規模を持つところでは小僧と言う者がいて、
先輩の僧侶や、住職などに仕えていた。
現代でこそ、
「女人禁制」
を唱うお寺は減ったが、当時は大概のお寺には、
女性はいなかった。
いくら、禁欲的な修行といっても、若者が少なからず持つであろう欲には
簡単には勝てなかったのだろう。
入門したての小僧さんというのはまさに、
ライオンの檻に投げ入れられた生肉
だったのだ。
こうして、「受けた」者が
時がたつと「攻め」へと変わっていくという流れが
古くは平安のころからあったと言われているのである。
そして、お寺は衆道家の巣窟となり、
ホモ天国
へとなっていったのである。
そして現在・・・・・・
このような流れはまだあるのだろうか・・・・・
ファンシィダンスのような世界はまだあるのだろうか・・・
こ、こわいよう・・・・
将来、某寺院へと修行で数年間行かなければならない拙僧としては、
この恐怖が杞憂
(きゆう)であることを祈るのみである。
修行が終わってからこのHPに、
「い、痛かったの・・・・」
なんてコメントがない・・・・・・
といいな・・・・・
追伸
各宗派で修行された、又は修行中の方で、
「うちの○○寺には衆道が残っている」
という方がおられましたら、お教えください。
公表はしませんが、
その宗派のお坊さんを見る目つきが変わると思います。